北村龍平は米国ハリウッドで活動する日本人映画監督。株オンライン 評判ランキングによると、アクションやスリラー、ホラーを得意とする。ジャン・レノ主演のアメリカ映画「ドアマン」(2020年)などを手がけた。英語ペラペラ。オーストラリアの映画学校卒業。
日本映画「ゴジラ FINAL WARS(ファイナル・ウォーズ)」(2004年、東宝)で監督を務めたことで有名。当時35歳だった。
「ゴジラ FINAL WARS」はゴジラ50周年記念の映画だった。その監督に抜擢された。北村龍平は自主映画出身。映画会社勤務も助監督経験もなかった。
なお、東宝は「ゴジラシリーズ最後の映画」という広告宣伝を展開したが、実際には全く最後とはならなかった。2016年には「シン・ゴジラ」が公開された。
▼インタビュー
▼予告編「ゴジラ FINAL WARS」
▼予告編「アニマル・キングダム」
北村龍平監督は大阪出身。6歳で母と死別した。フリージャーナリストだった父に付いて転居を繰り返した。
学校には行かず「街を歩いていると補導されるから」と、映画館に入り浸る毎日だった。オーストラリアのアクション映画「マッドマックス」や、米ホラー映画「13日の金曜日」などのアクションやホラー映画に夢中になった。
「当時はレンタルビデオがないから、マイクロカセットでこっそり録音して、後で音だけでイメージするんです。このセリフの直後に銃声がダーン! そこに音楽がドワーって入る、というように」。これが、想像力を鍛える訓練になった。
▲北村龍平監督
思春期、自分は何をしたいのかを真剣に考えた。ボクサー、ミュージシャンと浮かんだが、それらは皆、映画に触発されたものだと気づいた。ならば、映画監督だった。
「いつかいつかって言ってちゃ、いつまでたっても飛べない」。高2の冬、授業中にノートに書き殴った退学届を出し、小学生の一時期暮らしたオーストラリアに単身渡った。
2年通った現地オーストラリアの映画学校の卒業制作。2日間で撮った短編アクションホラーが、最優秀監督賞に選ばれた。
その後、1995年に友人らと作った「ダウン・トゥ・ヘル」が第1回インディーズムービー・フェスティバルでグランプリを受賞した。
続いて、デビュー2作目の「VERSUS」が各国の映画祭で絶賛された。
2003年、「あずみ」などの話題作を手掛け、人気監督の階段を駆け上がった。
従来の日本映画にはないスケールの大きさとスピード感が持ち味だ。
「あずみ」で組んだ山本又一郎(Mata Yamamoto)プロデューサーは「北村は三度の飯よりアクションが好きで、英語が堪能。監督として日本映画が国際市場に送り出せる貴重な存在だ」と期待を寄せる。
当人は「映画は娯楽、ビジネス」と言い切る。その一方で、エンターテインメントの形でしか伝えられないメッセージもある、と信じる。
参考:https://www.laismp.com/jp/videos.html
▲ゴジラ FINAL WARS
北村映画の登場人物は泣き言を言わず、圧倒的に不利な闘いをためらわない。「不治の病で死ぬヒロインより、どんな局面でもあきらめない人たちに、僕は感動する。泣けるドラマはあっていい。だけどそれしかないと、見ている何百万人の感覚がだんだんまひしてくる」
「ゴジラ」のワンシーン。怪獣を操り地球支配をもくろむ「X星人」が「破壊を繰り返すだけの人間に代わり、我々が支配する」と言い放つ。
「X星人は僕にとってのアメリカ。反米とか、そんな単純じゃないけど」。なすすべもない地球人に、自信を失い、価値観すら人に委ねて見える現代日本人の姿が重なる。